You can dance

 古いものの中では、俵屋宗達もあれば又兵衛もありました。よく版画などで見ている、あの若衆と娘が手毬をついている図の屏風なども陳列されてありましたが、そんなものの結構さは申すまでもありませんが、無落款のものの中に、とても面白いものがあったようです。むろんこんなのは、その時分の巧者な作者の筆に成ったものであることはいうまでもありますまいが、誰の作なんだか分りません。中には想像のつくものもないではありますまいが、結局想像は想像に過ぎません。いいものは落款の有無には関わらないことです。

 一たいに、見た感じを率直に申しますと、どうも浮世絵画家の筆は、やはり上木された結果のもの――すなわち錦絵になったものの方が、数等結構なものに思えます。春信でも英之でも歌麿でも、どうもその肉筆物は錦絵で見るような、あの魅力がないようです。やはり浮世絵画家の筆は錦絵の上で賞玩すべきものだと私は思います。

 忽ち火はひろがり、寒い夜のことでしたが私達が目をさまして、その騒ぎに、思はず表へ飛び出した時は、もういちめんに火の手が廻り、夜の闇を、炎がつんざいて、只ならぬ群衆のあわてふためいた騒ぎに、町はうめられてゐました。
 もえしきる家の戸口からは、まるで、コンロから火を吐くやうに、炎をはき、そのすさまじい火勢に思はず、すくみあがる思ひがしました。
 何ひとつ取り出すいとまもない、町の人々や、ひけしや、寺町の辻にゐた大勢の俥屋らが、もえしきる家々に飛び込んで行つて、荷物を運び出す、水をかける、その混乱した火炎と群衆のなかに、やうやく運び出された長持はと見ればなかに這入つた衣類の上に火の玉が飛び込んでゐて、くろけむりを立てながら焼けて、くすぶつて、その上に思慮もなくかけられた水に、ぬれそぼけてゐる。
 水火によごれた往来には、衣類や、せとものや、様々な家財道具が、乱雑になげだされ、われてやぶれて、ふみにじられ泥にまぶれて、手がつけられないと云ふ有様でした。

 画家が描こうとする画題を他から限定される性質のものでないことはいうまでもありませぬから、ある場合には乞食を採り入れる必要のあるような構図が出来るかも知れませぬ。たとえばそのような場合にしましても、乞食の醜悪のみを写し出して、観る者に不快の念を与えるような図にしなくとも済まされるはずだと思います。乞食は乞食にしても、何処かに芸術になる何かを持っているはずです。それを捜し出し写し出すところに芸術家の使命があると思います。醜女の醜を描く必要のある場合にしましても、幽霊の凄さを出す必要がある場合にしましても、それらがほんとうの意味の芸術に触れているとしますれば、きっと観る者に不愉快を与えないはずだと思われます。ほんとうの芸術は観る者に不快の念を与えるものではないはずだと思います。
 と言いましても、人にはそれぞれ好き不好きもありましょう。私にしても好き不好きがないとは申しませぬ。けれども私は、美人の美しさというものに偏した見かたをしたくないと思います。鈴のような眼の女には愛嬌を認め、細い眼の女には上品さがあります。長い顔にも円顔にもそれぞれに特長があります。そしてそれらは皆それぞれに美人の資格となることが出来ると思います。――こう見て来ますと、どんな女が美しいという固定した言いかたは出来ないことになって来ると思われます。